自分責め?他人責め?聖人?

人間の三大欲求として、
食欲・睡眠欲・性欲 があげられます。

どれも生命維持には欠かせない
本能からくる欲求です。

どれかが満たされないと感じると、
代わりに他の欲求を満たすことは
よくあることです。

現代では、これに「承認欲求」が加わり
四大とされたりもします。


情報過多な今、
この承認欲求が満たされるかどうかが、
人生に大きな影響を与えていることも
よくあることで。


人間一人で生きているつもりであっても、
実はそんなことは全くなくて、

何かしら誰かに依存(悪い意味ではなく)し、
生きているので、

「認められない」ことは
生きるか死ぬかに値する大きなことなのです。


だからといって、過剰に見て見てと、
少し前のSNSによく流れていたキラキラリア充、
アレをまき散らすことで承認欲求は満たされていたのか?


そもそも「盛る」こと自体、
自己否定が強かったり自己肯定感が低いから
行うことであって、

本来の自分を自分で受容できていれば、
盛るどころか、見てみて~と
過剰にアピールする必要もないわけで。


本当の意味での承認欲求を満たせるのは、
外部ではなく自分自身であると気づければ、
少しは楽になるのにね、と思っちゃったりするのです。


そう、自己受容です。
『ど ん な 状 態』 
の自分もオールオッケーというね。

これ、慣れないと出てくるんです、罪悪感が。
あと自分や誰かを責めたりね。

でも、それもひっくるめてオッケーを出します。
出し続けるんです。




自分にオッケーが出ていれば、
誰かのオッケーを待つ必要がないのです。


たしかに誰かに依存(いい意味で)して生きていますが、
その誰かの承認が得られないからといって、
即存在否定、とはなりません。


そ、生きていられるんです、
大人だし、日本だし。


生きていられないと思い込んでいる自分の中の一部が、
(これをインナーチャイルドと呼んだりしますが)
反応しているのですね。
過去の経験から。


まあ、過去を遡って、
認めてほしかった第三者(大概母親)に、
「認めてよー!」と今の本人に言ったところで、
ややこしいことになりかねないので、

今の自分が認めてほしかった当時の自分を
徹底的に受容していくことで、
内側から満たされていくのですね。


内側から満たされれば、答えを外に求めなくていい。

返ってくるかわからないことに、
不安を感じたり悲しみを感じたり怒りを感じたり
しなくていいのですよ。




「変わりたいけど何からしたらいいのか・・・」
と言われた際には

「まず自己受容を『徹底的に』しなはれ」

と伝えるのが、現代には正解なのかなと。









ちなみに~

食欲も性欲も低い人は、

他人を責める人か、自分を責める人、もしくは聖人

のいずれかの道に進むそうです。


あ、私?←上の二つが低いと自覚(;^ω^)


「責める」はかなりシンドイし、
エネルギーを使う割には生産性が低いので、
※過去の私です→これも自覚あり(;^ω^)


この中からだったら、聖人を目指したいと思います笑







2018年11月05日