問題解決って、ソレいる~?

先日、とある方のメルマガで、


「問題解決をしているうちは、

自分の人生を受動的に歩んでいるだけ」

(こんな感じ)


との記述を読み、


なるほど、


では、このことを私なりに

どう解釈するかな~?と考えてみました。


ちょっとお付き合いください。





セラピーを受けようと思う時、

何某かの問題や悩みといった

解決したいことがあってのことだと思います。



これがなければ、人生が明るく楽しくなる



そう考えるのも不思議ではありません。


ですが、ちょっと待った。←「!」にすると懐かしい




「これ(問題・悩み)がなければ」ということと、


「人生が明るく楽しくなる」ことに


因果関係が本当にあるのでしょうか?




たしかに問題や悩みはないほうがいい。

けれど、それらがあっても

明るく楽しく生きている人もいるのは事実です。



では、そういう人たちと、

問題や悩みのせいで明るく楽しくなれない人は

何が違うんでしょうか?



問題や悩みの大きさが違う?


う~ん、違います。


問題や悩みに大小はありません。




例えば、あなたが今とある悩みを抱えていたとします。

そうですね、大きさとしては、

人生に大きな影響を与えるレベルのことだとしましょう。


その悩み事をあれこれ考え込んでいたら、

家のカギを落としてしまい、

それを玄関で気がついたとしましょう。



「ギャー!カギがない( ̄▽ ̄;)」


この瞬間、困りごとの優先順位が変わります(;´・ω・)


つまり大小ではないのです。



では、何が違うのでしょうか?



実は「問題と思っていない」ことなのです。


正確に言うと、


「出来事にどんな感情を持ち、くっついたか」

その違いなのです。



出てきた感情を瞬時に判断し、

選びなおすことは困難です。


ものすごーく速いスピードなので、

頭(顕在意識)は追いつきません。
(判断は頭の領域)


後からその感情を切り離せばいいのです。

切り離すことで、ただの出来事になります。

あなたの歴史年表の中の一行にすぎなくなるのです。


なんらかの感情がくっついていると、

その出来事がまるで太字で書かれていたり、

マーカーが引かれている状態と同じになるので、
(教科書みたいに)

いつも意識して見ちゃいますし、

なんなら特別視して覚えてしまいます(;´・ω・)


何度も何度も繰り返されるので、

記憶が強化され、

やがて太字にマーカーにまで至ります。


これが「過去に捉われている状態」なのです。



話は戻りますが、


「問題解決」とは「問題ありき」で、

出来事を「問題」としちゃっている

自分がいるということなのです。


問題が存在しなければ、

当然解決する必要もありません。

ついでにいえば、

問題を解決「せねば」も不要ですね。

だって、ないんだから。



受動的、というのは、

外的要因によって、

自分にとってよろしくない感情を

選んでいる状態を言っていると思われます。



ま、個人的には

出来事から感情を切り離せれば、

能動的な生き方になるんじゃないかと

思いますけどね。



感情はエネルギーです。

人生を決める動力にもなる。


だからこそ、重いものは降ろして、

軽やかな足取りで人生を歩みたいですね。


2018年03月27日