さんてんいちいち

さてさて、これを書いている今日は、

実は11日です。


12日はWS開催日なので、

バタバタする可能性があり←私が( ̄▽ ̄;)

配信を吹っ飛ばすのは避けたい!思いで、

前日に書いています。



2011年3月11日、というと日本に関わりある人は誰しも、

なんらかの影響を受けたあの大きな出来事があります。


かくいう私は、まだ東京に住んでいた時です。


年に一度しか行かない場所←都内のホテル

ちゃんとした格好(スーツにヒール)をしている時に←卒業式(私のじゃないよ)

あの大きな地震を体験しました。



ホテルの地下にいましたがかなりの揺れを感じ、

一緒にいた講師のみなさんや学生たちと

ホテルの方に誘導されながら外に出ました。



講師のA先生は阪神淡路での被災経験があり、

その時の記憶が呼び起こされたのか、

パニック状態だったことを覚えています。



全ての交通機関が止まり、広い道路は大渋滞。

徒歩で帰宅する人達で溢れていました。


ヒールの靴では歩いて帰ることもできず、

ホテルの売店でぺったんこの靴とリラックスできるパンツを買い、

ホテル側がご厚意で用意してくださったロビーのイスで

夜明かししたのです。


あの当時言われた「帰宅難民」ってやつですね。


学校職員は、学校とホテルが一駅足らずだったようで、

学校に戻り各方面への連絡やなんやかんやをしていたようで、

特に指示もなかった私たち非常勤講師たちは、

ベテランの先生の指示に従い、

学生の点呼を取ったりしていました。



が、若い子はすごいですよ。



どうせ帰れないんだからと近くのカラオケボックスで

二次会を済ませ(まだ揺れている)夜遅くにロビーに戻ってきたり、

着なれないスーツに革靴でも徒歩帰宅(たしか埼玉方面)した子もいたり、

バイタリティーあるある(;^ω^)



近くの会場では他の学校の卒業式が開催されていて、

その天井が落ち亡くなられた先生がいらしたようでした。



ロビーはいつしか帰宅できない人で溢れ、
(どうやら東京ドームが避難できるとデマが流れ、
入れなかった人たちがホテルに流れ込んできたようでした)

携帯の充電を代わる代わる行ったり、

公衆電話には長い行列ができていました。


東京の家族と連絡が取れたのがなんとmixi←SNS強し

長野の家族とは連絡が取れたのは翌日でした。



そして古いアパートに住んでいた私は、


「アパートが倒壊してたら笑うわ( ̄▽ ̄;)」
(あと3か月ほどで引き払う予定だった)


な感じで夜を明かししましたね。


ホテルのロビーには大きなテレビが運び込まれ、

被災地の激しい映像が繰り返し流れていて、

緊急地震速報の落ち着かない着信音が一斉に鳴る。

そして真夜中の長野での大地震。



あんなに不安や恐怖が渦巻く夜は初めてでしたね。

知らない人の不安や恐怖が移るような感じなんですよ。



帰宅できたのは、翌日の午前中。

電車の中は疲れた顔の人がたくさんでした。


アパートは建具やちょっとずれたり←閉まらなくなった

電気が止まったりしていましたが無事にありました笑



お風呂に入り死んだように寝て夕方目が覚めた時は、

ほんと生きててよかった!ありがたい日々を送っているんだと

初めて感じた気がします。







天変地異の多い日本に住んでいて、

また世界は必ずしも平和じゃない地域もあったりしますが、

まずは自分から心穏やかな時間を過ごすことで、

やがてそれが周囲に伝播して、

最終的に「平安」に繋がっていくのではないかと信じています。


瞑想とか祈りとかね。



生きていればいろいろありますが、

穏やかに過ごすことに意識を向け、

実践してみるのは大切なことかもしれませんね。



2018年03月14日