私もキンチョーしーでした

りゅう姉です。




「緊張」


漢字を見ただけで体が硬くなる感じがするのは、私だけ?笑



私もキンチョーしーでした、でした?

いや、今でも多少はあると思います、たぶん。

以前と違いますけどね。





記憶をたどると、幼稚園の頃は全く緊張したという記憶はありません。

お遊戯会の写真を見るとノリノリの園児な私( ´艸`)

プレッシャーというものを知らず、その時間を楽しめる無垢な時期ですね。




小学校高学年の時、国語の授業中の本読みで感じたのが、

最初の強いプレッシャーだったかもしれません。記憶の中では。




「国語の本読みを、最後まで間違わずに音読できれば次の授業は体育にする、

もし途中で間違えたらそのまま国語の授業を続ける」


たしかこんな状況だったと思います。



で、それを誰がやるか?


教室はシーン・・・

そりゃそうです、みんなの期待を背負ってリスクなんて負いたくない。

で、当時音読が得意だった私に白羽の矢がたったというわけでした。



相当のプレッシャーでしたよ、今でも噛んだところを覚えているくらいですから。

そうです、プレッシャーに押しつぶされ「キンチョー」した私は、

見事に噛んで、次の時間も国語にしました笑



それ以来、人の前で何かをする時、キンチョーで手汗かいたり、

早口になって噛んだり、頭真っ白で飛んだり・・・結構やらかしました。

顔だけは「しれっ」としていたので、私のキンチョーに気づく人は少なかったと思います。


 

で、今はあまりキンチョーしないのか、というとそういうわけではありません。

キンチョーを回避するための対応策を取れるようになったので、

自分の中で「キンチョー」が大事(おおごと)ではなくなりました。



事前準備で回避できることならば念入りに行いますし、

準備できない当日のムチャぶりには、開き直って全力で行います笑



どちらのケースにも共通しているのが「その時間を集中すること」です。



集中している人のエネルギーはものすごく強い。

間違えたかどうかや人にどう思われるかが問題ではなくなるくらいにです。


集中できることで、その時間を楽しむことができるようになり、

「キンチョー」の存在が私の中で小さくなったのです。←要するに「どうでもよくなった」




「集中できる」ようになったのは「今現在不要になった」感情を解放し、

過去の出来事の解釈を変えた(新しい視点を持った)ことが大きかったと感じています。

今まで学んできたことを自分にも活用している結果とも言えるでしょう。



なので、今でもキンチョーしてないかと言われたら、どーかなあと。

きっと「あ、今キンチョーしてるわ」と思っちゃったら存在感が出てくるので、

キンチョーするかもしれませんね。、試したくないけど。





そんな想いがあって、ひとつ前の暗示スクリプトを作りました。



自分を自由に表現できる=「ライフデザイン」


私は人生で重要なことの一つだと思っています。

2017年03月08日