暗示にチャレンジ

このページは、私が8月下旬にヒプノセラピー「暗示療法」によって、
新たな習慣付けを行い、それにチャレンジしていることを記録しています。
チャレンジの内容は「1か月間画像とともに発信する」といったことです。
それに関する暗示文を作成し、セラピーによって潜在意識に届けました

よろしければご覧ください!

 

【1日目】【日常から一歩だけ外へ飛び出す】



私はヒプノセラピストだ。


およそセラピストらしからぬ性質の気もするが、

なんと表現したらいいのか

しっくりくるものが見つからないので、

便宜上セラピストとしている。



ヒプノセラピーとは、

変性意識状態下で言葉とイメージを活用し、

本人にとって良好ではない記憶や習慣を時に、癒し時に手放すことで、

より良い人生を送るための気づきを促す心理療法の一種だ。




先日、ヒプノセラピーの基本にあたる

暗示療法の講座を受講してきた。


過去に何度か再受講している講座で、

トレーナー資格も取得済みなのだが、

今の自分の視点で学び直しをしに参加した。






暗示療法とは、新たな習慣づけに活用するセラピーだ。


新たな習慣とは、今までの日常から、

一歩外に出たことを今までの日常に加えていく事だ。


一歩外に出ることには変化が伴う。


そして変化にはゆり戻りが伴う。



どんなによい方向への変化でも、

慣れている状態を潜在意識は好む。



何でよ?



顕在意識では、もうやだ!変わりたい!

って何度も思ってるのに。


潜在意識にとって知らない新しいものは、

なんだかわからないし怖い。

生存を脅かすかもしれないからだ。



それに比べて知ってるものは安心安全である。


少なくとも、今まで生存してきたという実績があるからだ。



たとえ良くないものだと言われても、

抱えたまま生きてこれたのだ。



現状維持を選ぶのは自己防衛のためなのだ。



変化をせず今までの延長で生きることは、
決して悪いことじゃない。

だって、今日まで生きてきたという実績がある。



でも、一歩でも外に出ることを望み

新たな生き方をしたいなら、

言葉とイメージを活用し、

新たな習慣を加えればいい。


潜在意識に新しいほうがいいよと植え込むのだ。





言葉とイメージ。


イメージは実現のための種子だ。

ふわっとしていて抽象的である。

それを実現のために具体化していくのが言葉だ。



言葉とイメージはペアだ。

2つセットで実現化する。

どちらか一つでは弱い。



片方だけで実現しないわけではない。

時間がかかったり確率が低くなるのだ。




魂は永遠と言われるが、

今の自分として生きる人生は有限だ。


だとしたら、今の場所に安心安全を感じていても、

今の場所から一歩外に出ることを選択しよう。



最初から遠くへ行くのではない。

日常から一歩出るだけだ。

最初は小さな変化でいいのだ。



ここから出るためのカギは、

あなたのポケットに入っている。


言葉とイメージ。


これを握りしめ、さあドアを開けよう!

【2日目】【目的を思い出す】




身内に要介助者がいる。

外部のサポート(デイサービス)を利用しながら、
家の中のことは家族でサポートしてきた。


介護生活がスタートしてまだ2年にもならないが、
戻る機能と戻らない機能が見えてくる。


介護素人の家族ではサポートしきれないことや、
感情的な葛藤も日々の生活の中では出てくるものだ。


家族みんなの生活の質を上げるために、
次にうてる手はなんだろうか。

と話し合い(程でもないが)の末、
歩行器をレンタルすることを決める。

早速週明けにトライアルとして
製品貸し出し担当者とともにうちにきた。

幅の広いもの、狭いものと試す。
本人の使い勝手も大事だが、
家の動線や間口のサイズも要確認だ。


使ってみると、家族の介助なしでは一人で歩けないのが、
ゆっくりだが確実に自分の歩みが見られる。


転倒の危険はまだまだあるので、
誰かがついている時に使用することにしたが、
それでも自分で動ける喜びを感じているのだろうと、
はたで見ていても感じる。


詳細は割愛するが、
翌日の朝早速予想外の出来事があった。
ちょっとしたイイコトとだけ言っておく。
(でもありがたい)




家族内での感情的な葛藤はよく聞く話だ。

できていたことができなくなる葛藤。
その苛立ちを受け止めきれない葛藤。

「今まで」という経験がまるで通用しない。


それが少しでも外部の手を借りることで、
軽減もしくは解消するのであれば、
積極的に活用することだ。




これは介護に限ったことではない。


若い時は何でも自分で!と思うことはいい。

実際できることも多いだろうし、
人生においてプロセスを経験するという
大切な意味も含まれているから。



だが、自分の枠だけで何とかしようとするより、
周囲の手を借りて対処するほうが、
予想をはるかに超えるよい結果が出るのは周知のこと。



目的を思い出そう。
幸せな日常を、人生を自分で歩むことが目的だと。


だから、遠慮なく声を上げればいい。


自分ひとりでどうにかしなくていいのだ。
世の中には自分が知りえないいろんな方法があって、
様々な手を持つ人が山ほどいるのだから。


シンドイ想いを抱えているあなた。
自分ひとりでがんばらなくていい。


私は今、誰かのサポートが必要だと、
大きく声をあげればいい。


サポートに一時的にすがることがあっても、
目的は覚えておくことだ。


幸せな日常を送るため、
自分の人生は自分で歩むためだと。


【3日目】【繋がる】



ここ1か月ほど、過去に触れる機会が何度かある。

昨日も偶然つけたテレビに映ったのは、
30年ほど前一度だけ訪れ、ほんの数時間いた程度の
でも知っている場所だった。


うお~!懐かし~
というありきたりの感想がまず最初。

それから、これは何のお知らせだろう?
どんなシンクロなのか???

少しだけ想いを巡らせ、そして忘れる。



最近そんなことを繰り返していると思っていたら、
今日20年ぶりに会った友人の口から出た、
今興味を持ち知りたいと思っていた情報。


あの頃自体にヒントがあったり、
懐かしさにヒントがあるのかと思えば、

旧友を温めることで、
そのルートから情報が入ったり、
嬉しい気持ちが届いたり。


誰かと何かと繋がることで、
欲しいものが手に入っているのだ。



出会いと別れを繰り返しながら、
繋がったり切れたり。


もう終わった関係だと思っていても、
再会で始まる新しい関係。


一人で生きているといきがってみても、
繋がることで生かされていることを知る。


自分の人生を創るのは自分。
それは能動的であり受動的だ。


***


そういえば、先日いただいた(というか引いた)
2枚のポストカードは対のようなイラストだった。



「リアル」と「記憶」。



自分の道筋をカードに言われるとは。



【4日目】【五感を開きイメージを旅する】



習慣づけの暗示をアップしていると、
ありがたいことにコメントをいただける。

そんな中、イメージが上手にできないとの
コメントがついた。

旧友が書き込んでくれたコメントだ。


(おお、ここにも過去に触れることが←昔の友人)



イメージする


日常無意識にしていることも多いのだが、
いざ意識的にやってみようとすると、

これでいいのか?どうすればいいのか?
そもそもできているのか??

こんな疑問が湧く方もいるかもしれない。



実際過去の私も、かつての友人に
「イメージすればいいんだよ」と言われ、

「は?(実際やるのに)イメージって何よ」と
何を言ってるんだこの人は位思ったこともある笑


私たちには五感がある。
イメージとは映像を浮かべることだけではない。
五感全てを使っていくことがイメージするということだ。


五感には人それぞれの使い方がある。

映像イメージが得意な人もいれば、体感覚が強い人もいる。
音や言語に強い人もいれば、匂いや味覚が得意な人もいる。
どれが優位に使っているかというだけだ。


潜在意識はイメージが大好きだ。
イメージがリアルであればある程、
現実か空想かの区別がつかない。

要するに「どっちでもいい」のである。

自分にとってより良好なイメージがよりリアルにできて、
潜在意識に「コレ本物だから」と信じさせることができれば、
それが現実となる。



イメージする力は練習することで上達できる。
上達できるギフトなのだ。

ならばやらない手はない。

ひとつ一つ五感を開いていくように、
ひとつひとつ丁寧に行っていくのがいい。


1、花をイメージする

どんなサイズ?どんな色?草丈は?葉っぱは?
花びらは何枚?厚さは?茎の太さは?感触は?匂いは?・・・


2、自分の部屋をイメージする

どんな広さ?調度品は?窓は?明るさは?匂いは?・・・


3、車窓の景色をイメージする

何に乗っている?季節は?どんな景色?気温は?音は?匂いは?・・・


4、9歳の自分をイメージする

どんな顔?肌の色は?何着てる?どんな髪型?どんな子?
誰と仲良し?好きな食べ物は?・・・


こんな風にどんどん具体的にイメージを膨らませていく。
「もし私が○○だったら」をイメージするのも面白い。

○○は、突拍子もないものだと面白さも相当なものになる。



イメージの世界は無限だ。
制限をかけるのは自分の顕在意識だ。

制限(ルール)があることで面白いこともあるが、
ルールを取っ払い楽しむことがキーである。


イメージの世界を旅するように。


【5日目】【豊かさについて考えてみた】

「豊かさ」という言葉から、
あなたは何を連想しますか?


一般的には「お金持ち」に始まる
物質的に良質でたくさんあるといったイメージを
持つことが多いのではないだろうか。


私ももれなくそうだった。


若い頃はハイブランドのバッグに腕時計、
ファストファッションを着て
友人に会うなんてとんでもない!
なんて本気で思っていたこともあった。


ハイブランドの本当の良さを理解して
愛用していたのならいいが、

ハイブランドの持つパワーやエネルギーを拝借して、
足りない自分を武装していたようにも思える。

内面が全然豊かではなく、
不足感から外部の力を借りていたのである。


ハイブランドのバッグたち、ホントごめんね。
(気に入って愛用してたけど)



自分軸がないのに、自力で生きているとばかりに勘違いし、
そのくせ外部の何かに影響されるように生きていた。
これぞ他人軸。


自分が本当は何を望み、何を心地よいと感じ、
何を幸せだと感じるのか分かっていなかったのだ。

だから目先を通る見栄えのよい何かにいつも目移りし、
根無し草のようにふわふわと生きていた。
その自覚すらないまま。



同時に、故郷をバカにしていたきらいがあった。
「田舎なんて何にもない」と。


親の転勤で知らない田舎の土地に住み育ち、
早く何もない場所から、なんでもある都会へ行きたいと、
進学先も都会、そのまま就職も都会と
20年以上過ごしてきた。


ない、ない、という「不足」だけを見ていたのだ。


7年前、帰郷を決めたのは自分なのだが、
負け戦の結果、都落ちした気分だったのだ。

勝つとか負けるとか、何に勝負を挑んでいたのか。



しかし7年が経ち、年齢を経てくると、
ない、ないどころか、かなり「ある、ある」のだ。


どうしてそれに気がついたのか?


内面の豊かさについて内観する機会が増えたからだ。

自分が本当は何を望み、何を心地よいと感じ、
何を幸せだと感じるのかを見るようになったのだ。


すると、睡眠時間も短く、
時間に追われるように仕事し生きていたことは、
必要に迫られて適応していただけだとわかってきた。

本当の自分は、のんびりだと思い出してきたのだ。


誰も干渉せず、個々で生きていることに自由を感じていたはずが、
もしかしたら繋がる喜びと広がる可能性を
放棄していたんじゃないかとすら感じている。

自由がないと思っていたのだろう、
自由はいつもあるのに。



本来の望みに沿ったことを自分なりにあげてみると、
実は帰郷してから叶っているのではないか。
そんなことすら思い始めている。


じゃあ、田舎がいいんじゃん。
そう単純なことではない。



過去は否定しないと決めている。

過去を肯定し宝に変えてこそ、
今の、未来の自分だからだ。



刺激的で変化のスピードが速い都会。
大海回遊魚のように止まったら死だとさえ感じていたが、
それも幻想。思い込み。

ただ、あのエネルギーの強さには感謝している。
行動を後押ししてくれる強さだ。


それに対して自分にとっての田舎は、
のんびりして近距離で、息苦しささえ感じることはあるが、
それでも在るということに、力を与えてくれる。


田舎の「ある」と都会の「ある」は、私にとって「対」だ。

それはまるで潜在意識と顕在意識の関係にも似ている。

在るを理解し実現させる。



自分の人生において、いずれの土地で過ごした時間は宝だ。
これは自分の豊かさに通じる。


本当の豊かさは、自分を内観し、
本当の望みを理解することから始まる。

それはいくつになってもできることだ。


あなたは、あなたにとっての豊かさを
本当にわかっていますか?

実りの秋、じっくりと向き合う時間を取ってみると、
今の、未来の自分の道筋が見えてくるかもしれない。



【6日目】【帰る場所、還る自分】




秋雨で9月が始まる。


今年の夏の暑さに翻弄され、
疲弊した体を癒すにはもってこいの陽気。
猛暑の夏が急に遠くなったようだ。


今年の夏は本当に厳しい暑さが続いた。
そして、ここ数年よく耳にする気象異常。

ウン十年に一度。
すでに何度も聞いているフレーズだ。


天変地異という外部の力に人は振り回される。
生活も、生き方も、在り方も。


住み慣れた故郷から強制的に切り離されることを、
本当の意味では理解できないだろう。

例え同じ経験をしていても。


経験は個人的なものだ。
どんなに大きな出来事に同じタイミングで遭遇しても、
個人的であることに変わりはない。

出来事の受け取り方、解釈の仕方は
ひとりひとり異なるものだ。
そこにジャッジは不要である。


ただ、帰る場所があればいい。

大きな出来事に翻弄されても、
人は帰れる場所があれば強くなる。

それが故郷だ。
住み慣れた場所かもしれないし、
心から安心できる場所かもしれない。


故郷は安住の地だ。
「おかえり」と声がかかれば尚いい。


もし安住の地を奪われても、心配することはない。
還る自分が在ればいい。
還れる自分で在れば、人は生きていけるのだ。


どんなに感情の波に翻弄されても、
還る場所を知っていれば穏やかでいられるのだ。


そのためには「還る自分」がどう在るのか、
知っている必要がある。



どんな自分で在ればしなやかでいられるのか。

どんな自分で在れば笑えるのか。

どんな自分で在れば幸せだと感じるのか。


心の声を聴こう。
答えは自分の中にある。

安住の地までの地図は既に手の中にあるのだ。

安住の地はあなたの中にもうあるのだ。


【7日目】【本音に気づく】




先日、SNSの記事のつぶやきと、
購読しているメルマガの記事に目が留まった。

それぞれ違う方が書いているのだが、
彼女たちの職業と記事の内容に共通点があった。

内容は全く違うのだが、
いずれも親子の関係を想像させる話だった。



私は子どもがいない。

ゆえに「あなたに親の気持ちがわかりますか?」と
言われたら「わかりません」。


だが、そんなことは誰にも分るわけがない。
子を慈しむ気持ちは「慈しむ想い枠」が同じでも、
その中身はかなり個人差があると私は考える。

「慈しむ想い枠」じゃないものでさえ、
親が子を思えば全部「慈しむ想い枠」に
入れてしまうような類もあるだろう。



お子さんの相談を親がする。


大切な我が子の一大事だ!
親がなんとかせねば!


なんとかしたい気持ちは私にもわかる。
そう思い行動することは自然のことだ。
そこを言いたいのではない。



本当は何のため?

本当に子どものため?


子どものためと称して、
自分のためじゃないのか?



出てきた本音を責めているのではない。
まずその本音を認めよう。

思い通りに事が運ぶことで
安心したいと思っていることを、
まず認めようと言っているのだ。


その本音を認めたら、我が子のためだけでなく、
あなた自身のケアもしたほうがいい。



大切な我が子にあなたの安心を
保証させることがどれほどのことか。

その子の状態次第という
前提を持っていることがどういうことか。

あなたの「良かれ」が
その子の「良かれ」なのか。

本人以外の外部が、その子の人生を決めることが
どういうことなのか。


そこに気づいたほうがいい。


あなたの安心はあなた自身にあるもので、
誰かに何かに与えてもらうものではない。
まして子どもに求めるものではない。


あなたが安心し安定することで、
より良い行動がとれる。

事態をより良い方向に向ける行動を
選択できるのだ。




親が子を慈しむ。
その姿や心は尊い。


だからこそ本音に気づくといいなと、
それぞれの記事の事例に思いをはせる
初秋の午後。



【8日目】【人生を味わう】




せっかくセッションを受けたのに、
まだ逆戻りしてしまいました

時折こんなお話を聞く。


セラピーを受けた後、一気に変わる時もあれば、
徐々に変化を重ねて最終的に大きく変わることもある。

それはどちらも正解だ。


サロンには様々な問題を持った方がいらっしゃる。
その問題は各々に大きな影響を与えている。

物理的にその問題から離れられる場合は変化が早い。

心の整理をつけ、その問題から距離が置ければ、
俯瞰する目も定着する。


だが、問題は日常にあることが多い。

せっかく心の整理をつけても、
俯瞰する目が定着する前に問題を目にするのだ。
そして現実に引き戻され、
何も変わっていないと感じるのだ。



人は環境動物である。

そして、潜在意識は慣れた環境が大好きだ。
ここにさえいれば安心なのである。

例えそれが今の自分に悪影響を及ぼしていてもである。
変化することよりも、慣れた環境で耐えることを選ぶのだ。


そう考えると、時間がちょっとかかることは大した問題ではない。
時間がかかっても変えたいかどうかなのだ。




本来感情は一度切り替わると、全く同じには戻らない。


何度も繰り返されるんです。


これは、自身の中で何度も同じ感情を反芻しているのだ。
もうやだ!と言いながら繰り返し味わい、
自分の中で強化しているのだ。


やがてそれが好みの味になる。


その感情が苦く辛いものであってもだ。
まっず~!と感じたはずでもなじみの味に安心するのだ。


だから、変化はちょっとずつでもいいのだ。
ちょっとずつスパイスを変えていけば、
なじみの味の変化に気づきにくいので抵抗感が薄い。


やがて全然違う味になっていることに気づく。
なじみの味より断然美味しいことに気づくのだ。

そしてもうあのまっず~!い味には
戻ろうとすらしなくなるのだ。

美味しい味がなじみの味になるのだ。




だから、一度セラピーを受けたなら、
日常の問題に離れられなくても、
味の違いに気づいたことを思い出してほしい。

頭は忘れているかもしれないが、
心はちゃんと覚えているから。


だが、人間は忘却の生き物でもある。

「わかった!」とか「スッキリした!」と思っても、
一時的なもので、やっぱり忘れてしまうのだ。


そこで活きてくるのがセルフケアだ。
徐々に変化させるスパイスの役割をしてくれる。


次のセラピーまでに続けることで、
「そうそう、こっちが美味しかったよね」と、
あなたの心に定着させてほしいのだ。



もしそれすら忘れてしまうくらい、
苦しい時間にいるのなら、



私はこんな味さえ体験したいのか~
やりたがりさんだなあ♪


と、自分に声をかけてみよう。


経験したいんだからさせればいいのだ。
まっず~!いことも経験するからわかるのだ。




ただ、これだけは覚えておいてほしい。

本来のあなたの人生は、
美味しい味で満たされていることを。

【9日目】【体の声を聴く】



大きな台風が近づいている。

ニュースでは台風の進路と交通状況、
早めの避難を呼び掛けている。


天候は人間の体調に影響を与える。
特に大きな変化は体にこたえるものだ。

気圧が下がる時に古傷が疼いたり、
体の変調を訴える人が増えるらしい。

私の周囲でも、三半規管が弱かったり、
体調が思わしくない人は、
大概気圧が下がる前後に不調になる。

以前勤めいた会社の上司にも、
スポーツで痛めた膝で天気予報ができるぞと
自慢のように言っていたが、
これもきっと同じだろう。


できるなら、こんな日は、
ゆっくり体を休めたり、
無理ないペースで一日を過ごすことだ。
体に優しい時間を設けたい。



体は正直だ。
外部に影響された時は、
必ずなんらかのサインが出る。

それをキャッチし対処するのは、
宿主である私たちの責任だ。


外部の影響は天候だけではない。
ストレスもそうだ。

全てのストレスが悪いわけではない。
少し負荷がかかったほうがいい場合もあるだろう。
運動のように。


過度なストレスは体に大きな影響を与える。
健康を害するという影響だ。



私は若い頃、胃潰瘍を患った。
小さい頃から胃腸はあまり強くなかったので、
弱いところに出たのだろう。

あまり強くなかったために、
胃腸に負担のかかることは避けていた。
いわゆる暴飲暴食、というやつだ。

ストレスで暴飲暴食をする人がいる一方、
ストレスを感じると、食欲が落ち体力が落ち、
結果体調不良になるという流れだ。

そして、日常から胃腸の違和感や痛みに対して、
少しだけ敏感だった。


いつもと違った痛みや痛みのタイミングに違和感を持ち、
病院へ行ったがすでに罹患。

そこから半年間投薬治療を受けた。

その間主治医は原因については何も語らず、
ただ経過を診ているだけだった。

最後の診察で、胃カメラで映る写真をみて、
もう大丈夫と言われ、ホッとしたことを覚えている。

そして、一言
「原因はご自分がわかっていると思うけど」



知っているのか、私・・・


頭ではそう思ったが、
知っている自分がいることを、心は知っていた。


体と心は繋がっている。
心の悲鳴が体を通してサインを送っていたのだ。


体の専門家は、体のどこにどんなサインが出るかで、
心の不調が分かる人もいる。


私個人はその点詳しくはないが、
経験からすると心への過度の負荷が、
その人の体の弱いところに出る、そんな印象がある。


どんな負荷が心にかかっているのか、
その原因を探ることはもちろん大事だが、
体をいたわる時間をしっかりとることだ。


体は借り物だと言われる。
この世に生を受ける時に借りてきたものだと。

いずれ土に還るとはいえ、
借りたものは丁寧に、いたわり、
ケアを続けていきたいものだ。



この記事を書いている途中にも、
台風上陸と速報が入る。


どなたさまもお気を付けて。




【10日目】【ツールは活用してナンボ】


吹き返しの暑さの中、
期日のある仕事に追われている。


階下から、数名の来客の声がする。
時折笑い声も混じる。


先日我が家に来た歩行器を、
正式にレンタルするための契約のためだ。

どうも契約業者だけでなく、ケアマネジャーや
デイサービスのスタッフまで来て、
正しい使い方等のレクチャーが始まっているようだ。


動力がついているものでもないし、
とてもシンプルなつくりをしているので、
わざわざ教わることもあるのだろうかと思っていたが、

どうやら足を出しやすい姿勢や支えの仕方があるようで、
プロが揃い、それは丁寧に教えてくださっている。
ありがたいことだ。



ツール、道具は私たちの生活や人生を
より便利に豊かにするサポートを担っている。
先人たちの智慧に支えられた現代の生活だ。


そのツールを丁寧に扱えているか、
きちんと手入れをしているか。
使い勝手のよさは、そんなところにもでる。


ツールは道具は、現物とは限らない。
お金や知識といったものもツールである。

乱雑に扱ったり、放置してはいないだろうか。
死に金だったり、知識のままになっていないだろうか。


お金は使い方次第で、生活を人生を豊かにも
奈落の底に落としてもくれる。


知識は活用することで智慧になり、
熟成されて自分を含む世の中を豊かにしてくれる。

しかし、学びっぱなしだと
やがて錆びて中途半端に頭に残り、
「知ってるつもり」として人生を生き辛くする。

深度を言ってるのではない。
たとえ浅い知識でも、活用することで智慧となるのだ。


活用とはお金に変えることだけではない。
使うことで、便利に豊かになっているか?ということだ。



ありがたいことにこの現代には、
私たちの生活や人生を豊かにしてくれるツールが溢れている。
そしてそれらを比較的容易く手にすることができる。


それらを上手に活用できているか?
ただ所有しただけで終わっていないか?


ツールは使うことでツールから恩恵を受けられる。
人生に能動的に活用したいものだ。


【11日目】【一部であって全てじゃない】


人生もそこそこ長くなってくると、
様々な体験をしてきたと感じる。

パートナーを得て親になり、
多くの役割を同時に果たしている人もいれば、
組織の中で与えられた役割を生きる人もいる。

また、現代では王道と言われる流れから外れ、
自由に生きている(ように見える)人もいる。



人生の様々な経験の中で、
肯定したり否定したり、肯定されたり否定されたり。
何らかのジャッジをしたり受けたりしている。



テストでよい点が取れた

親に褒められた

恋人ができた

志望校に合格した

仕事でよい成績を収めた

理想の相手を結婚できた・・・




勉強ができなかった

親に叱られた

フラれた

志望校に落ちた

仕事で使えないと言われた

ひどい相手を選んでしまった・・・




全て人生の一部分だが、一部を全てを思い込み、

その都度気持ちは上がったり下がったり。
まるでジェットコースターのようだ。


いいことがあれば、
自分はツイている!と肯定し、

悪いことがあれば、
なんでいつも自分ばかりと否定する。


自分を守る機能が働くので、
大抵は「なんでいつも悪いのか」と
良くないことを記憶し拾い集めている。



でもちょっと待って。



よーくよーく考えれば、
どれもあなたの一部を切り取っているだけだ。

たまたま、ということだってある。

物事の状況によって出た結果を、
いいか悪いか判断しているだけである。



それがあなたの全てなのか?
本当に全てなのか?

あなたイコール、ソレなのか?


例え誰かが全否定する言葉を発しても、
相手が全部だと思っていることは、
あなたの一部を全部だと思い込んでいるだけだ。


あなたですら気づいていないあなたの全てを、
他人が気づくわけがない。
ましてジャッジなどできるわけがない。


どんな経験をし結果を出しても、
あなたがあなたである価値は変わらない。


どんなに自分を否定しても、
誰かに否定されても、
あなたの存在価値は不変なのだ。


それが全てだ。




【12日目】【望みを叶える、循環】



なんてことないことを友人と交わす。
話題の逸れ方が緩やかな人だと感じる。

感性なのか思考なのかその両方なのか、
距離が近いと感じる友人たちは、
だいたい話題の逸れ方が緩やかだ。
会話はそれに気づく時間だ。


その中で「○○な人になりたい」という話になった。
軽い話から出た一言だ。

その一言に対して自分の中で二つの反応が出る。

どんな?という素直な疑問を持つ自分と、
しばらく意識を向けていなかったなあと。


〇〇な人になりたい


その○○には、様々な言葉が当てはまる。
パブリックなものもあれば、
非常にパーソナルなものもあるだろう。


○○な人になる方法は様々あるが、
明確にしておくと実現率がかなり高くなる点がある。


1、○○になれたとどのようにしてわかる?

2、その結果をいつどこで誰と一緒に手にしたい?

3、その結果は自分と周囲にどんな影響がある?

4、○○になるためにすでに持っているもので活用できるものは?
  これから何を持てばいい?

5、○○になるということは、自分にとってどんな意味がある?

6、○○になるために何から始める?


思いつくまま書いてみたが、もう少しあるかもしれない。


なりたい未来の姿をリアルにイメージすることで、
より実現のスピードと確率が上がる。

リアルに、がポイントだ。


大切なのが5。

自分の中で矛盾があると実現化は厳しい道のりになる。

顕在意識はなりたい!と思っていても、
潜在意識は望んでいないので形にならないのだ。

頭と心の一致がポイントである。



振り返ってみて。



なりたいなあと思いながらも、
実現していない事柄を思い返せば、
頭と心の望みが矛盾していたことに気づくだろう。


頭で立てた計画を心がNOといえば、
体は頭で思うようには動かないので、
頭が望む結果は出にくいのだ。

たとえ結果が出たとしても、
矛盾からくるひずみがいずれ表に出てくる。

心身の健康や人間関係にと。



ヒプノセラピーに未来療法という技法がある。
未来世という生まれ変わりではなく、
今の自分の未来作りに活用するセラピーだ。

このセラピーは未来達成率が高い。

なぜなら、潜在意識と顕在意識をつなぎ、
互いの望みを矛盾なく一致させる技法だからだ。
言葉とイメージの両輪をフルに使うのだ。



こんな風に書くと、
頭が抵抗勢力のように感じるかもしれない。

欲するまま生きることがいいと
勘違いするかもしれない。



そうではない。



人間にはどちらも備わっている。
一致させて活用するのがいい。

抵抗するのは自分を守るためなのだ。
守り方が古いだけなのだ。


心と頭を対立させたままだとエネルギーが分散される。
それがもったいないと言っているのだ。

思うように生きるには、
いろんな意味でエネルギーがいる。

そのエネルギーを上手に活用することで、
自分から循環の輪を広げられる。


自家発電したエネルギーと
外部からいただくエネルギーを一緒に回すことで、
さらに幸せの循環が大きな輪になるのだ。

その輪を大きくすることで、
結果的に周囲に自分に還ってくる。



大きな話をしたいわけではない。
望みを通して対局を観よ、というだけだ。

自分の望みを実現させる必要は、
たぶんここにあるのだ。



私が未来療法が大好きなのは、
クライアントのエネルギーが
目の前で上がっていく様を見ているのが
とても気持ちいいからだと思っていた。

今でもそれは変わらない。

だが、最近はこの循環の一端を
クライアントも私も担っているのだと、
そんな想いが加わった。



ありがたい。
ホント、ありがたい。


おそらくこれも自分の望みの実現だ。

ありがたい。


【13日目】【人生における創造性とは】




この暗示実行を行う際に、
今までとちょっと違うことを入れてみたいと、
一言を画像に盛り込んで一緒にアップしている。

画像はアメリカのフリーサイトを利用している。

このページは、様々なデザイナーの写真や作成画像を、
自由にいじることができる。


このページで画像を編集後、
ダウンロード時にデザインに関する名言が表示される。
毎回違う名言で、20種類程度あるらしい。


最近気に入っているのがこれ。



創造性とは発明すること、実験すること、成長すること、
リスクをとること、ルールを破ること、間違うこと、
そして楽しむこと(メアリー・ルー・クック)


デザインに関して言っている言葉だが、
まるで人生のことを言っているようにも思える。


自分の人生において、

・何を作り出せるか?
・どんなことにチャレンジするか?
・現状維持せず前進を選べるか?
・リスクを超えた決断ができるか?
・既存の枠からはみ出せるか?
・失敗から何を学ぶか?
・そして何があっても面白がれるか?


これらを行っていくことで、
自分だけの人生が創られていくとも読める。


こんなに能動的な言葉が並ぶと、
大きなことを成し遂げることが
人生に創造性を発揮することのようにもとらえられる。

一部の著名人の話であって、他人事のようだ。



でも、そうだろうか。


出来事自体が小さくても、
いずれかに当てはまる行動を
日々の中で意識してとることができたら、

おそらく人生は想像をはるかに超えて、
きっと面白いものになるに違いない。


簡単な方法は、慣れないことを選ぶことだ。
自分にとって初めてのものを選んでみるのだ。


最初は怖さを伴うだろう。
慣れないことをするのだから。

怖いのは知らないからだ。
慣れてないからだ。

慣れてきて消える怖さもあるだろう。
消えない怖さなら共に歩めばいい。

怖さは敵ではない。
既知ではないと、信号を出しているだけだ。
付き合い方を学べばいい。



今日とる行動を、ひとつひとつ意識して、
とってみるといい。

どんな変化が訪れるかは、続けることで見えてくる。
小さな変化でも、積み重なることで大きな変化になる。

今の生き方が大きく変わるかもしれない。


この言葉に気持ちが上がるなら取り組んでみてほしい。

自分の人生に創造性を発揮し、圧倒的な人生にしたらいい。


この言葉に足がすくむなら今の生き方を大切にすればいい。
自分にとって創造性とは何かを考え、それを発揮したらいい。



自分の人生に創造性を発揮して生きるとは何か

想いを馳せる時間を取ってみるといい。
お茶でも飲みながら。


【14日目】【スポーツに感情の流れを見る】



テニスの大坂なおみ選手が、
4大大会である全米オープンで優勝した。
なんと男女合わせて日本人初。

この試合をテレビ観戦したのだが、
人の心の動きがとてもよく見える面白い試合だった。


対戦相手は4大大会過去23回制覇、元絶対女王
アメリカのセレナ・ウィリアムズ選手。
彼女の憧れの選手だ。


大坂選手は現在フロリダに住んでおり、
お父さんはアメリカ人なのだが、
日本選手としての出場なので完全アウェイの試合。


20歳の彼女がベテランにどう戦いを挑んでいくのか。
始まる前から注目が集まっていた。



スタートから集中しているのがわかる。
ミスをしても動揺することなく、
時折自分を鼓舞しプレイし続ける。


そんな彼女の姿に動揺するのは、対戦相手。
試合途中に、とあるペナルティーを取られ、
そこから感情の渦に巻き込まれる。

チェアアンパイアに詰め寄るほど、
感情を爆発させていた。

頭で体を制御しようにも、
感情が大きく揺れているのでプレイが定まらない。

心と体は繋がっているのだ。
エネルギーが分散しているのだろう。


結局第一セットは大坂選手が取る。
怒りが収まらないウィリアムズ選手。

セット間の休憩時間にも食い下がらない。
早い英語でまくし立てている。


自分は絶対そんなことをしない!
あなたのペナルティーは間違っている!

こんなことを言っていた。


大きな感情の渦は、一向に収まるところを知らず、
そのまま第二セットに突入。


それでも元女王、なんとかプレイを行うが、
集中している方のペースになるのが必至。


会場は自国の選手を押すので、
ここにもまた別の感情の渦が大きく巻いている。


途中ミスをしならがも顔を上にあげ、
口角を上げてほほ笑む大坂選手。
自分を鼓舞し集中することに務めているのがわかる。

ここで自分も動揺したら、
相手の感情の大きな渦に飲み込まれるのだ。


試合の結末が見える終盤、
怒りの収まらないウィリアムズ選手の一言に、
チェアアンパイアが大きなペナルティーを彼女に課す。

納得できない彼女は、
とうとう試合レフェリーを呼び出し猛抗議。

会場はウィリアムズ選手の味方をすべく、
大ブーイングの嵐。



結局大坂選手の勝利。
なんだかんだでストレート勝ちだ。

4大大会優勝、日本人初!
最高に嬉しい涙のはずが、
会場からはお祝いの声援とブーイング。

可哀そうなくらいだった。
若干ハタチが、2万4千人の前で初優勝を素直に喜べず、
なんだかわからない涙を流しているのだ。


表彰式が始まってもブーイングは止まらない。
サンバイザーを下げ、涙を隠す大坂選手。


しかし、そこは元女王。
試合に猛抗議こそしたが、ここは大人の対応をした。

優しく大坂選手に何かをささやき、
騒ぐ会場を諫め、大坂選手の初優勝を祝おうと言ったのだ。

やっと笑顔が戻ってくる。



ここまででいろんなものが見える。


・大坂選手の集中を欠かさなかった姿勢
・ウィリアムズ選手の感情の切り替えと相手に対する優しさ
・チェアアンパイアの公平さを欠かさない態度
・権威ある者の発言に大衆は弱いこと
・共通性を持つものに親近感を感じること
・少数でも自分の主張をはれる一部の観客
・心と体の関係は、頭と体の関係より優位であること・・・


ほんの数時間で同じ時間を共有した人の
心の動きや流れが、とてもわかりやすく見えるのだ。


感情が揺れるのは当たり前のこと。
揺り幅をどれだけ小さくできるかだけなのだ。
それは心の在り方次第なのだろう。




大坂選手は夢を叶えた。

初めて優勝するなら絶対全米オープンがいい
憧れの選手と対戦して勝ちたい


試合中も今自分がすることだけに集中した結果、
この喜ばしい結果を手にすることができた。


しばらくテニスが「job」だったという彼女。
作業では楽しくないし、当然望む結果は出ない。

それが最近「business」になったという。
楽しんで取り組めるのだそう。

楽しむことに集中すれば、
見合った結果がついてくるのだろう。
それを証明してくれたようにも感じる。



2020年には世界ナンバー1になりたいという彼女。
公言通りか、それより早く叶えるのか、
これからも楽しみに観戦したいと思った。



決勝戦としてはいろんな意味でドラマチックだった。
個人的に印象に残っているところがある。


ひとつは、ブーイングの中タオルを被り泣いているかと思いきや、
バナナをほおばる大坂選手のチャーミングなところ。

泣いてたんじゃないんかいっ!と、
解説者と同時にツッコむ。


そしてもうひとつは、
優勝報告の際、チームスタッフとハグを交わした後、
大坂選手のお母さんが彼女をハグし、
言葉なく頭をぽんぽんしたシーンだ。

なんだか温かいものが見える瞬間だった。

この時はお母さんに感情移入する自分に驚いた。



年を重ねたな、私も。


【15日目】【猫日より】




我が家には2匹の猫がいる。
いずれも生後1,2か月の子猫の時に保護され、
心優しい里親さん経由で縁あって家族になった。


猫は小学生の時に少しの間飼っていた経験がある。
40年以上までの話だ。

真っ白な雌猫で、たしか生後3か月程。
家猫が子どもを産んだという知人から
譲り受けた猫だった。


その頃引っ越しを控えており、新居に猫を迎えたのだ。


動物が苦手な人の中には、新居にペットを迎えることに
抵抗がある人もいるかもしれないが、

以前にも白いハトやアフガンハウンドがいたこともあり、
家に人間以外の家族がいることになんら不思議はなかった。


当時は猫を完全室内飼いする習慣はなく、
猫は昼間は家で留守番。

下校した私たちと家中を走り回ってひと遊びし、
夕方から外に遊びに出かける。

夜には勝手口で開けてくれと鳴き、
私たちが寝ている子ども部屋に直行。

ドアの前でまた鳴き、温かい布団で寝るという、
なんとも贅沢な一日を送っていた。



真っ白で美人だったためか?←猫に美醜があるのか?
近所の雄猫たちが彼女をめぐって
激しい争奪戦を繰り広げていたことを覚えている。


ほどなくして子を授かり、
めでたく我が家のテレビの裏で出産。

子猫の柄を見て、父親はあの猫かと、
よく見かける雄猫の一匹を思ったこともあった。


子猫は小さい。
子どもだった私の手のひらにすら乗る。

小さい存在は守らねばと、
子ども心に思った記憶は残っている。


生後1か月を過ぎたころから、
家族が不在の時間には縁側に箱を置き、
親猫と一緒に外で遊ばせていたのだが、


ある日学校から帰ると子猫が一匹もいなくなっていた。
親猫は狂ったように鳴き、探している。

一体何が起こったのか?

当時の私は、母が里親を決め、
学校に行っている間に受け渡しをしたのかと思っていた。
(のちに聞いた話では、母も知らないうちにいなくなっていた)

そのうち母猫も家出をしてしまったのか、
帰ってこなくなった。


そんな経験をしてからは猫を飼う機会もなく、

友人から譲り受けたうさぎを、たった1日、名前を付ける前に
当時近所の小鳥やモルモットを次々と手にかけていたワルの野良猫に、
2匹ともやられてしまった経験から(しかもクリスマス)
猫との距離ができてしまっていた。


それが、ひょんなことから保護した子猫を
飼う機会が40年ぶりに訪れた。


1匹目が来るまでに、
「世界ネコ歩き」という番組のファンになったり、
野良猫親子が我が家で子育てしたり、
友人が保護猫を飼い始めたりといろんな伏線はあった。


それが3年前だ。


猫の生体の記憶は曖昧なので、どう生活させていくのか、
ノウハウを専門雑誌の定期購読や通院時に聞くなど、
知識を入れていくところから始めた。


知識は知識のレベルである。
智慧に変えるには、とにかく活用だ。
書いている内容と同じ傾向のこともあれば、個体差もある。

それを特に感じたのは2匹目を迎えた時からだ。


同じ雄、同じような柄、同じような境遇。
2度目の子育てだが、同じようでいて違う。

2歳を超えた先住猫は去勢済みの雄猫だが、
子猫の面倒をよく見てくれた。
子育ての経験などないのに、本能だろうか。


一匹、一匹を観察する。

血縁ではない猫の存在、
人間家族の中での立ち位置の取り方、
エサの食べ方から、要求の仕方、甘え方など
個体差がたくさんあることに気がつく。

猫それぞれに合わせて対応していく。


猫を飼い始めると関心が向くので、
既に飼っている飼い主さんたち情報も
目につくようになる。

また保護活動を行っている人達のことも
目につくようになる。


みんなそれぞれのやり方で愛情を注いでいる。


私は人間の子育ての経験はないが、
共通するところがあるのかもしれない。


一人ひとりを観察し、
その存在を尊重し共に生きていてく。

自分以外の存在を慈しみ尊重し共に生きていく。
こんな素晴らしい体験ができるのだ。

その経験をさせてくれる、
ここまでの経緯で関わった全ての人や事柄に
深い感謝を感じる。


現在2匹は3歳と1歳。
彼らの存在は私の日常にアクセントをつける。

スマホの画像や動画は、猫で溢れている。
SNSのタイムラインも、猫が頻繁に流れる。

飼い主さんたちとの交流も楽しみのひとつだ。
そこには必ず愛も一緒に流れていて、とても心地よい。


室内飼いの猫の平均寿命を考えると、
自分の健康寿命も長く伸ばす責任がある。

まさか自分の健康に対するモチベーションを
猫から与えられるとは。


これすら経験だと思い、
ありがたく受け取ることにする笑




【16日目】【続くのはそれを気に入ったから】




テレビの影響は大きい。

マイタケとおからパウダーが
店頭から消えたらしい。


健康番組で放送したらしいが、
気になる人がこぞって購入しているそうだ。


一人暮らしをしていた頃、仕事帰りのスーパーで、
季節外れなのに棚からなくなっているココアを見て、
一体世間で何が起こっているんだろうと
不思議に思ったことがあった。


それ以来、もずくやら、エゴマオイル、
カカオ含有率?が高いチョコレート、
くるみ、アーモンド、ココナツオイル、甘酒・・・

数々の食品が流行っては落ち着き、
流行っては落ち着いている。



誰もが生きている限り健康でいたい。
この気持ちはわかる。


だが、実際に体によい影響が出るほど
摂取を習慣にしているのか。

どんどん流行りが変わる点を見ると、
はなはだ疑問である。



あらゆる情報に日々囲まれている現代。

その中から自分に必要なものを
選び取る力を試される。

選んだ情報で自分の世界が出来上がっている。
そう言っても過言ではない。


世の中に即効性のあるものはたくさんあるだろう。
しかし、早い変化を定着させるには、
それなりの期間がいる。
習慣化には時間が必要だ。


習慣化のためには
接触頻度を上げることがポイントになる。


食品であれば食べ続けることや、
行動であれば続けることである。


続けることの影響の良し悪しは表裏一体だ。
「何を」「どのくらい」続けるかで現状が変わる。

そこにはバランスが不可欠だ。
そしてもれなくそれは個人差もある。


何をどの程度、自分にとってベストなバランスなのか。
こればかりは続けながら経過を見ていくしかない。


専門家の助言は貴重だ。
大いに活用することがいい。

だが、一番は自分が知っている。


今来ている流れに乗ることが、
果たして自分に必要なのか、
乗らずにスルーすることなのか。


試してわかることもたくさんある。
気になるなら試してみればいい。

頭の説得で押し切るのではなく、
心と体が気に入れば続くから。


「流行ってるから」という理由で
なんとなくそこに乗るのは、

今の人生が有限であることを考えると、
そのヒマ、もっと使いたいことに費やしたいと
個人的には思ったりもする。


*

かつての私ならこの意見で終わっていた。
自分の意見が正しいと思っていたのだ。


しかし、今は少しばかり視界が広くなってるのか、

ただなかには「流行ってるから乗っかる」ことが、
必要な時期を迎えている人もいるかもしれない。

そんな風にも思ったりする。


人生に流れや動きが必要な人だ。

心が求めているならば、
他の誰かに言われずして気づくだろう。

そういう人は迷わず流れに乗り、
人生を動かしたほうがいい。


そんな人の存在もあると思える人間に
私自身がなったのかもしれない。


そして、そんな自分は、
流行りもとうに落ち着いた頃から、
毎朝アーモンドを口にしている。


最初はアドバイスから始まった習慣だが、
ここまで続いた理由はひとつ。


「(味と触感が)気に入ったから」


継続とは、心身に受け入れられることで
成立することなのだ。

【17日目】【新たなスタート】




昼食後のお茶を飲もうと、
ついでになんとなくテレビのチャンネルを
いじっていた時、プロ野球の始球式が映った。


アイドルが始球式でボールを投げているシーンだ。

マウンドには、車いす姿のアイドルが、
晴れやかな笑顔でたたずんでいる。


私は彼女を知らなかった。

今年の春に不慮の事故で、
半身不随になったアイドルとわかった。

なんとなく気になりネットで検索してみると、
彼女のブログに行きついた。


事故から一月後にアップされた記事を読んでみた。


事故の状況とその当初の心境、
現在の自分の容態に感じた絶望。
周囲の人の支えから見出した希望。

率直な気持ちが書かれていた。



当たり前だと思っていた昨日までが、
一瞬の出来事で大きく変わってしまう。


今までに戻れない程の生き方を大きく変える事故から、
彼女は希望を見出し、感謝を告げている。


この強さはどこから来るのだろう。

彼女の心を支配していた葛藤から、
どうやって希望の光を見出せたのか。

記事を読み進めていくうちに、
周囲の支えのおかげだという一文が出てきた。



人生を大きく変える出来事は周囲の応援を受けるから、
現状を受け入れ、前を向いて歩けるのだろう。


出来事の当事者にしかできないことは多々あるが、
一人でするよりも周囲の応援をエネルギーにするほうが、
より早く想像を超えた未来になる可能性は高い。



人はよほど意識をしない限り、過去の延長を選ぶ。
予測のつく安心な道だ。


だが人生には不測の事態はつきものだ。
安心だと思っていた道が、突然ふさがることだってある。

その時にどの道を選ぶのか、生きる力が試される。

暗闇の中手探りで歩き続けるのか、
一筋でも光が照らす道を選ぶのか。



彼女は光が照らす道を選んだ。
自分の決意と周囲のエールで希望を手にしたのだ。

今までと違う自分を受け入れ、
その上でチャレンジしていくエネルギーが、
ブログからも感じられる。

向日葵のような笑顔が印象的な彼女。
彼女の今後がなんだか楽しみになった。


そして、自分が今なぜ気になったのか、
今後このことがどんな影響を与えるのか、
なんだかちょっと楽しみだ。

【18日目】【前を向く】




時代のアイコンのような人が
自身のキャリアに終止符を打つ。
そんなニュースが続く。


経験し積み重ねてきた過去を
「やりきった」と答え、
今後はこれから考えるという人。

同じく積み重ねてきた過去の中から、
見出してきた未来への道へ
退路を断って進むと決めた人。



どちらも他人から見れば
「成功」とくくられるキャリアをお持ちだ。
おそらくこのままの道を進んでも、
華々しい時間を過ごしていただろう。


決断までに至るプロセスやその想いは、
彼らそれぞれの中にあって、
本当のところは誰にもわからない。

そして当然のことながら未来は誰にもわからない。


だが、新たな道を選ぶその姿は、
多くの人に推進力を与える。

不安より未来への期待が高いのだろう。


不安やわからないからこそ、
自由に、創造性を存分に発揮できる。


新たな道を選んだ人に、
今までの道はもう不要だ。

しかし、新たな道を選ぶために、
歩くべき道であったのは間違いない。




変わっていく彼らに
嘆き悲しむ人もいるだろう。

大切な人の決断だからこそ
応援したいと思う人もいるだろう。


相手をどのような存在だと感じていたかで、
感じることも違う。



旅立ちは祝福しようではないか!

あなたに推進力を与えてくれた彼らの、
清々しいほどの旅立ちを!

その祝福がやがて彼らの推進力となるのだ。

そしてあなた自身受けた推進力を共にして、
あなた自身の道を進むのだ。


新たなる道を一歩、一歩、前へ。



【19日目】【SNSより】



年下の友人の入籍をSNSで知る。
一回り以上下の友人の一人だ。

ここ数年来会っていないのだが、
時折呟かれる近況に、元気でやってるなあと思っていた。


社会に出て、仕事以外のところで出会う人は
とても狭い範囲になりがちだ。

趣味などプライベートで共有するものを持つことで、
様々な年代の人達と触れ合う機会がもてる。


音楽を通じて知り合った友人たちはほぼ年下だ。

同世代が子育てなどで家庭をメインに生活していた時期に、
仕事以外で知り合う人達は年下が多い。


彼女たちとの共通点は音楽だけだ。

ライブ会場で知り合っているので、
ごく狭いプライベートな一面を共有している。


仲良くなれば、どんな仕事をしているか、
どのあたりに住んでいるか程度は知ることがあっても、
コイバナをするほどの距離にはなかなかならないものだ。

たとえカウントダウンライブに一緒に行っても、
丸一日一緒にライブハウスのハシゴをしてもだ。


干渉しすぎない距離が、お互いに負担がなく、
でもすぐに繋がれる。
今の時代の距離感なのかもしれない。


時折呟かれる彼女たちの喜怒哀楽に、
少し触れるようにやり取りをすることも、
距離が縮まっているような気にもなる。


SNSがライフラインのようになったのは、
かれこれ10年以上前だろうか。


知り合いならともかく、面識もない人たちと繋がり
身近に感じることができるとは、
なんとも不思議な感じである。


SNSのおかげで、行方知らずの旧友にさえ
再会することができるのだ。




呟かれれる日常の喜怒哀楽。



私個人は、他人様の祝い事の記事は
ほほえましいと感じる。
喜びが溢れているのがわかるからだ。

おすそ分けしてもらった気分にさえなる。


またある種強い主張も、
こんな風に見ているんだなと、
他人様の視点が見えて参考になる。


自慢話を嫌う人もいるが、
私個人は「嬉しかったんだなあ」程度にしか
昔から思わないので、
やはり平気で目にすることができる。




「SNS疲れ」という言葉ある。

他人様の呟かれる記事に感情を揺さぶられ、
ストレスを感じるそうだ。


呟かれる日常がリアルなのか、
「盛られた」ものなのかわからない。

つまりフィクションかもしれないことに、
ストレスを感じてしまう人がいるらしい。



他人様の日常は、他人様の情報であり、
ドラマであり、且つストーリーである。


情報は選べるのだ。
選びとり活用するものだ。


他人様の情報に、自分の何が触れたのか。
そこを見るつもりがないのなら、
自分を守るためにSNSから離れることがよい。


SNSそれぞれにシステムの特徴がある。
目にする記事を選びことだってできるのだ。


SNSはライフラインのように使われるが、
ライフラインではない。
なくても何とかなるものだ。

振り回されるくらいなら道具とは言わない。
それくらいの気持ちで使いたい。


とはいえ、友人たちの人生の祝い事は、
いくつ目にしても嬉しいことだ。

門出をSNSで祝うことも現代のカタチ。
それもアリだ。



【20日目】【いろんな豊かさ】




猛暑だった夏がひと段落し、
季節は秋を迎えている。

農業県である長野は、収穫される野菜や果物で、
季節の流れを感じられる。

今は早生のリンゴやぶどうが最盛期を迎えている。

地元で開催される果物の収穫祭には、
多くの人が足を運び、今年の恵みに舌鼓を打つ。
縁ある人達宛にその喜びを送り届けている。


店を通さずとも、農家直販などの選択肢があるのは、
産地ならではだろう。

我が家は農家ではないが周囲は兼業の家も多く、
はね出しから自家用のものまで、
様々な野菜や果物をいただく機会も多い。

それに比例して、自家製○○といった食べ物も、
スイーツにはじまり様々な味となって、
我が家の食卓にあがる。


なんと豊かなことだろう


都会に店を持つ拘りのシェフの味のような
コジャレタものとは言い難いが、
どこか優しさを感じられる味だ。


都会暮らしに足をつけている方なら、
場所を問わず経験があるかもしれないが、
一人暮らしの根無し草のような生活だった私には、
このような環境は皆無だった。


当時の私には「豊か」という定義が、
わかりやすい「経済」だった。

可処分所得がどれくらいあるかで、
豊かさが決まると思い込んでいたのだ。
たぶん。


それは半分事実だか、
知らなかったもう半分が何か、
環境が変わってみてよくわかる。


手塩に掛けた収穫物が経済の流通経路ではなく、
直接顔が見える流れで届く。

受け手はお金で測れない価値があるように感じる。

お金のように共通の価値ではなく、
違う形で返していく。

双方向とは限らない。
ぐるーっと回って思わぬところから帰ってくる。
回す方向があるのだ。

これぞ循環。

共通価値と比較することはナンセンスだ。
こんな豊かさもあるということである。


*

実りの秋だ。

今月もいただいた数々の野菜や果物が、
私のおなかを豊かに満たしてくれる。


今日は地元でぶどう祭りがあったようだ。
家族が買い求めた摘みたての珍しいぶどうが数種類、
ちょっと無造作に箱に入っている。

果物スキーの私には、しばらく天国が続くらしい。


体重だけは豊かになりすぎないよう、
気にするお年頃、である。



【21日目】【同じ時間を共有する】


高校の同窓会に参加した。

今年50歳というキリ番の年齢を迎え、
同級会ではなく全クラス一緒の同窓会だ。


高校卒業から32年。
ギリギリ昭和の時代に卒業し、ギリギリ平成の時代に
生誕半世紀を迎える年齢。


当時今ほど県内に大学がなかったため、
かなりの人数が進学のため故郷を離れている。

そのまま就職や家庭を持ったりして、
こちらにいない人も多い。

1年以上前から各クラスの幹事さんらが、
あらゆる手を尽くして連絡を回していた。

こんな時、クラスの中心だったり
社交的で人脈の広い人が幹事だとありがたい。


田舎の電車本数は少ない。
通常は車生活だが、
飲むイベントの時はみんな同じ時間の電車に乗る。

地元駅のホームでは、すでにプチ同窓会が始まっている。


会場のホテルで受付を済ます頃には、
「久しぶり~!」という声があちこちで飛び交う。


時折顔を合わせる人もいれば、
卒業以来のクラスメイトもいる。
今回は記念の会だということで4割程度が参加し、
担任9名中6名の先生もお越しになった。


当時の面影があったりなかったりと、
32年という月日は長いと感じる。



まず近況。そして卒業後から今までの足取りから当時の話まで、
時系列はめちゃくちゃでも、不思議なくらい話がはずむ。

会場内に流れる音楽は、全て当時流行っていた曲だ。
音楽は一気に記憶を呼び戻す。

忘れていた思い出が後から後から出てきて止まらない。
思い出の整理に笑いながら取り組むようだ。



当時の仲良し、そこそこの距離から、
なんとなくわだかまりがあった距離さえも、
全て包み込むように、歳月は優しい。


人生のステージが変われば人間関係も変わる。
それが普通であり、過去の繋がりに拘ったことはなかった。

それゆえ、そのまま音信不通になっている人もたくさんいる。


長い人生の中でたった3年間。
多感な時期に同じ空間、同じ時間を共有したことが、
今になって宝だとわかる。


時間は繋がっていないという。
未来は過去の延長ではなく選べると。
そしてそれは事実である。

だが、過去を共に、
これから先を歩くのもいいだろう。


いずれにしても、喜怒哀楽がいっぱい詰まったあの時期が、
これからの人生をより豊かにしてくれる。

そんな気がする。

【22日目】【グラデーション】



季節が夏から秋へと行ったり来たりしている。

「暑さ寒さも彼岸まで」というからには、
今週いっぱいはこんな感じなんだろう。



季節はグラデーションだ。
だんだんと変わっていく。


夏服冬服といった制服を着る人はともかく、
日常に着る服はそこまでの厳格なものはない。
曖昧な時期を、曖昧な服でやり過ごす。



以前アパレルメーカーに勤めていた頃は、
常に季節は先取りだった。
半年は早い。

コアなブランドコンセプトはあれど、
トレンドという次の流れが次々と表現される。

その時期に合わせた新しい流れを取り入れていく。
定番といえどもそうなのだ。

変わるもの、変わらないもの。
案外混在しているのだ。

混在しながら、次の新しいものへと変わっていくのだ。

店頭も同じだった。
夏物セールの横には、秋の新作が並ぶ。
いずれは秋物一色に、次の季節へと変わっていく。




〇十代。

キリ番という数で区切られることが多いが、
実際は季節と同じくグラデーションだ。
いきなり意識が切り替わるわけではない。


積み重ねてきたことと、
これから出会う新しいこと。
グラデーションで人生ができる。


長く愛されるファッションブランドのように、
コンセプトは明確に、でも表現は自在に。